


僕の名前"ジョイ"が映画のタイトルにも入ってるってことで、
若干のムチャ振りをくらいながら観ることになったこの作品。
結果、家族の為に頑張る父親に胸打たれてしまいました。
感動よ。また一つ大好きな映画が出来た!
本作の中で、主人公が一輪の花を差し出すシーンがあります。
この映画への出演を熱望したパトリックの作品への愛情と、
彼の人柄に心を打たれたことを懐かしく思い出しました。
名作『ミッション』の陰に隠れているが、
2020年代だからこそ、改めて評価し直したい映画。
現代に必要なのは西洋文化の介入による悲劇『ミッション』ではなく、
他文化への共感を深めていく『シティ・オブ・ジョイ』だ。
今も昔も、旅人がインドに訪れる理由は変わらないのかもしれない。
歓喜の街・カルカッタの人々と出会い、
「人生に飛びこむ」ことを選んだマックス医師の姿に、
当時旅人だった自分の姿を重ねずにはいられなかった。
この映画にある"生きる"とは、助け合いの中に広がる救い。
誰にでも降りかかる大小かかわらずの哀しみが我を覆いつくした時、
その日常に降りかかる困惑から抜け出す道をこの映画は教えてくれる。
"生きる"を正に感じる物語。
この30年でコルカタは変わった。世界も変わった。
けれども変わらないこともある。
それは「生きていくのは楽じゃない、だからこそすばらしい」ということ。
コルカタはたぶんそれを知るのに最適な場所なのだ。
原作「LA CITÉ DE LA JOIE」は世界中に感動の大爆発を引き起こした。
次にその映像作品が現れた。それが30年の時を経て、コロナ禍のいま蘇った。
大難にひるまぬ行動と勇気に彩られた本作品の真の出番がやってきた。
30年の歳月は、主役を演じた2人の男優を天国へ連れ去ってしまった。
だが、彼ら出演者が刻印した物語は、今もみずみずしく、心に迫る。
貧困ではなく、インドの豊かさが描かれた作品だ。
人が人を愛するということ―。
それは文化や人種の違いを超越して存在しているものだということを再認識させられる。
30年前では気づけなかったことがきっとあるだろう。
今この現代社会においてこそ観て欲しい1本。
人間社会の歪みがむき出しの〝歓喜の街〟カルカッタ。
そこで生きる人々を赤裸々に描く本作は、
誰にも奪うことのできない魂の尊厳と、
人間の根源的強さをもう一度信じさせてくれる。
これは泥まみれの歓喜を讃えた傑作だ!
ここで描かれている社会構造は、映画が製作された30年前ではなく、
まるで現代の問題のよう。
それゆえ、絶望の淵にいたとしても私利私欲に惑わされず、
高潔な道を選ぶ人々の姿に今なお変わらない普遍的な感動がある。
人生から逃げるか。ただ傍観するか。それとも敢然と人生に飛びこむか──。
自分を見失っていた青年が、その選択を迫られたのは、
正視できないような極貧のインドのスラム街だった。
環境の違いこそあれ、あなたも今、答えを出すべき時では?
1952年8月18日生まれ。アメリカ・テキサス州ヒューストン出身。本名Patrick Wayne Swayze。
バレエの振付師だった母親の影響で、幼い頃からバレエ・ダンサーを目指し練習を始め、いくつかのバレエ団を渡り歩いた後、ブロードウェイの舞台に立つ。映画デビューは1979年の「Skatetown U.S.A.」。83年、コッポラの「アウトサイダー」で注目され、87年の「ダーティ・ダンシング」では得意のダンスを披露。90年の大ヒット作「ゴースト/ニューヨークの幻」、続く91年の「ハートブルー」でその人気を決定づけた。以降舞台と映画を交互に活躍していたが、08年、すい臓がんに侵されている事が判明。抗がん治療を続けながらTVシリーズで主演を務めたが、20ヶ月にわたる闘病の末、2009年に帰らぬ人となった。享年57歳。2022年に生誕70年を迎える。
ずっとアクション俳優と思われていて、そういう役のオファーが多かったんだけど、自分としてはできるだけ色々な役柄に挑戦したいと思っていたんだ。そんな時にこの作品に出会い、自己嫌悪と苦悩に満ちた主人公マックスのキャラクターが、僕の中の深い部分で一体化した。それですぐに監督のローランドに会いに行って、僕がどんなにこの物語に感銘を受けたかを話したんだ。ほとんどその役をくださいって言わんばかりにね。
インドでの撮影は本当に大変だったけど、カルカッタの街を肌で感じて、それまでの人生で経験した問題がどんなにちっぽけなことだったかを改めて思い知らされたよ。長い役者生活の中で、初めて自分が心から満足できる映画に出演できたと思っている。信頼で結ばれたローランドが僕の夢をかなえてくれたんだ。(初公開時パンフレットより)
1945年11月17日イギリス・ロンドン出身。マンチェスター大学で英語と演劇を専攻し、卒業後は演劇活動にいそしむ。劇団を組織し、ロンドンで5年間舞台の仕事をした後、テレビへと進出。BBCで初演出したドラマ“The Sponger”が評判を呼び、81年の長編テレビドラマ“United Kingdom”は英国プレス・ギルド賞を受賞、英国アカデミー賞にもノミネートされた。その才能に大物プロデューサーのデヴィッド・パットナムが目を付け、84年「キリング・フィールド」で劇場用映画監督としてデビュー。作品は大反響を呼び、翌年のアカデミー賞で助演男優賞・撮影賞・編集賞の3部門を受賞、自らも監督賞候補となった。同じくパットナムと組んだ86年の「ミッション」ではカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したほか、アカデミー賞撮影賞も受賞。92年の本作以降も、コンスタントに作品を発表し、高い評価を得ている。
「シティ・オブ・ジョイ」は、何もかもがうまくいかない時にも、気高い選択をすることを忘れない、勇気ある人たちへの賛美歌だ。私はこの作品で貧困を描いているのではない。カルカッタに住む人々にあふれる、生きる力とヒューマンな精神の物語を描いているのだ。(初公開時パンフレットより)